チャイメリカを観てきました
世田谷パブリックシアターで「CHAIMERICA(チャイメリカ)」を観てきた。
出演が田中圭、満島真之介、眞島秀和。今をときめく田中圭君のおっさんずラブ後にチケットが発売された舞台なのでかなりの争奪戦だったけれど、そこは私、田中圭モバイルの会員なので(照)、すんなりと取らせてもらった。届いた席は結構後方だったので(林遣都君の芝居では事務所会員優先5回目の挑戦でようやく得たチケットの座席がそこそこ前方だったから期待していたということもあり)、新参者だし仕方ないよなと納得させていたのだけど、これは客席に入ってから驚いたのでそれはのちほど。
今回、体力的な不安を抱えながらも日帰り上京を決意したのは眞島秀和さんも出演なさっていたから。昨年亡くなった母親は彼のことが大好きで、富山に芝居でいらっしゃることを知ったときも行きたいけど体の不都合があるしと断念したのに公演日当日、「今日は眞島さんの舞台だね」と私も忘れてたことを言ってたぐらいなので、何とかして連れてってあげれば良かったのかなととても悔やんでいた。よって今回は母が杖にずっと付けてたフクロウちゃんのマスコットとともに、芝居を観てきた。

当日パンフレットと同行してくれたフクロウちゃん。
三茶へ向かう電車の中、その前に一か所寄ったことが災いして早くも疲労度が上がっており、なんで私はこんなところに来ちゃったんだろうとさえ思い正直、帰って横になりたいほどだった。
が、三茶に着き、劇場前で上演中のポスターを見て、中に入ってチラシの束を受け取ったとたん、今度は期待度が急上昇し、先ほどまでの疲労はなんだったんだろうとさえ思えた。不思議。

フォトスポットになっていた看板とただいま上演中のポスター。
客席は想像よりもコンパクト。大昔シアタートラムには来たことがあり、それよりおっきいハコだという認識だったから後方でも近いじゃん、と安心。おまけに私の席は通路側、それもひとつ前の列から通路側にはみ出し始めているという私の視界を邪魔するものは何もないレベル。
ありがとう、田中圭モバイル!!
時間が近づくにつれてまわりの客席も埋まり始め、ほぼ、女性。そしてオペラグラス持参の方、多し。こんなに近いのに何を見ようというんだ??
長くなりましたがやっと芝居について。劇場のサイトにある説明は下記の通り。
<物語>
89年6月4日、民主化を求める学生を中心とした一般市民と中国政府が、天安門広場で衝突した。
そこに居合わせた19歳のアメリカ人ジョーは、買い物袋を両手に下げた一人の男が戦車の前に立ちはだかる様子をカメラに収め、その写真は“戦車男=タンクマン”として世界に衝撃を与えることになった。
それから23年後、中国人の旧友ヂァン・リンから、“タンクマン”にまつわる衝撃の事実を聞かされたジョーは、彼の軌跡を追い始める。
以下、思いつくままに。台詞の確認には悲劇喜劇3月号掲載の戯曲を参考にした。
【不穏な音楽】
冒頭にかかる音楽がなんとも言えない、心がざわざわさせられた。
【冷蔵庫は何のメタファーか】
民主化への扉は開かれても結局は閉ざされるということ?
【ふたりの妊婦】
未来の象徴??ちょっと安易か。
【ヂャン・ウェイ、そしてワン・ポンスゥ】
今回は多くの方がひとりで数役、こなされているのだけど、眞島さんも二役なさっている。これは「ヂャン・ウェイ役はワン・ポンスゥも兼ねる」という作者の指定なのか、はたまた栗山さんの演出なのかが分からないけれど、ジョーの写真をきっかけに運命が変わったふたりの兄を彼がひとりで演じるという仕掛けなのだろうか。
【ヂャン・リンのこと】
満島さん、彼を観たのは森田必勝役、そして田中圭24時間テレビでのロドリゲスという極端な振り幅(笑)。こんな役を1日2回も演じて彼、大丈夫なのかなと不安にさえなった。彼はジョーに何を求めてずっと友達となっていたのだろうか。ジョーに探させたもうひとりのタンクマンは今の政府で英雄となっていると思っていたのだろうか。
【ジョーのこと】
過去の栄光でもう1発当てたかっただけなのか、タンクマンの今から中国を今を真剣に伝えようとしたのか。ミシェルとの会話に出てくるのは彼自身の子供のこと?(子供はいない、いらないのでは?)テスにもうすぐ妻が帰ってくるという意味は?ヂャン・リンに「結婚しよう」と言うのは彼をアメリカに呼び寄せられる手段としてのその場しのぎの言葉?しかし、なんにせよ田中圭さんが演じることによってすべて悪気はない、無邪気な男だと捉えてしまうのはなぜだ!くやしい!
事前に戯曲を買った時に即、開いたところ、パタパタを激しい場面展開に頭がくらくらして読むのを放棄してしまってたのでタンクマンは誰なのか?というミステリー部分を堪能できたけれど、これ、回り舞台での転換だからスムーズだったけど、そういう装置がない劇場だとどうするんだろ。やっぱり中国側は下手固定にして、上手や奥側で場面が変わるアメリカ側を作るんだろうか。アメリカ側は装置で説明する場合が多いから、それでも転換は大変かなとか、いろいろ考えてしまった。
栗山さんのコメントに「シャッターを切るように」場面転換すると書かれているのだけど、まさしく、ほんの一瞬だけのために場面が流れたりする。テレビドラマならフラッシュバックのカットシーンとして出てくるように。それを舞台に上げるって本当、大変な作業。演出し甲斐があるっていう面もあるけれど。
最後に重たいものがずしりと届けられ、これじゃカーテンコールで笑顔なんて見せられないわなという幕切れ。後味が悪いというよりもこれは誰かに伝えなくては、と思わせられた。
以上、長々と連ねましたが最後まで読んで下さりどうもありがとうございました。もう少し戯曲を読み込んだり天安門事件についてをもっと良く調べたらちゃんとした考察が出来たのかもしれないけれど、取り急ぎのエネルギー放出としてお許しください。
20代の頃は土日の上京でマチネソワレマチネとはしごした時期もありましたが結婚や病気のために芝居を観ることから遠のき、特に持病が持病なのでもう長時間座ることなんて出来ないと思っていただけに、今回は本当に幸せな時間を過ごしました。この先、いつまで観られるかということを考えるとこれからは機会があったら、体調が許してさえくれればまた、どんどん芝居を観たいと思っています!
出演が田中圭、満島真之介、眞島秀和。今をときめく田中圭君のおっさんずラブ後にチケットが発売された舞台なのでかなりの争奪戦だったけれど、そこは私、田中圭モバイルの会員なので(照)、すんなりと取らせてもらった。届いた席は結構後方だったので(林遣都君の芝居では事務所会員優先5回目の挑戦でようやく得たチケットの座席がそこそこ前方だったから期待していたということもあり)、新参者だし仕方ないよなと納得させていたのだけど、これは客席に入ってから驚いたのでそれはのちほど。
今回、体力的な不安を抱えながらも日帰り上京を決意したのは眞島秀和さんも出演なさっていたから。昨年亡くなった母親は彼のことが大好きで、富山に芝居でいらっしゃることを知ったときも行きたいけど体の不都合があるしと断念したのに公演日当日、「今日は眞島さんの舞台だね」と私も忘れてたことを言ってたぐらいなので、何とかして連れてってあげれば良かったのかなととても悔やんでいた。よって今回は母が杖にずっと付けてたフクロウちゃんのマスコットとともに、芝居を観てきた。

当日パンフレットと同行してくれたフクロウちゃん。
三茶へ向かう電車の中、その前に一か所寄ったことが災いして早くも疲労度が上がっており、なんで私はこんなところに来ちゃったんだろうとさえ思い正直、帰って横になりたいほどだった。
が、三茶に着き、劇場前で上演中のポスターを見て、中に入ってチラシの束を受け取ったとたん、今度は期待度が急上昇し、先ほどまでの疲労はなんだったんだろうとさえ思えた。不思議。

フォトスポットになっていた看板とただいま上演中のポスター。
客席は想像よりもコンパクト。大昔シアタートラムには来たことがあり、それよりおっきいハコだという認識だったから後方でも近いじゃん、と安心。おまけに私の席は通路側、それもひとつ前の列から通路側にはみ出し始めているという私の視界を邪魔するものは何もないレベル。
ありがとう、田中圭モバイル!!
時間が近づくにつれてまわりの客席も埋まり始め、ほぼ、女性。そしてオペラグラス持参の方、多し。こんなに近いのに何を見ようというんだ??
長くなりましたがやっと芝居について。劇場のサイトにある説明は下記の通り。
<物語>
89年6月4日、民主化を求める学生を中心とした一般市民と中国政府が、天安門広場で衝突した。
そこに居合わせた19歳のアメリカ人ジョーは、買い物袋を両手に下げた一人の男が戦車の前に立ちはだかる様子をカメラに収め、その写真は“戦車男=タンクマン”として世界に衝撃を与えることになった。
それから23年後、中国人の旧友ヂァン・リンから、“タンクマン”にまつわる衝撃の事実を聞かされたジョーは、彼の軌跡を追い始める。
以下、思いつくままに。台詞の確認には悲劇喜劇3月号掲載の戯曲を参考にした。
【不穏な音楽】
冒頭にかかる音楽がなんとも言えない、心がざわざわさせられた。
【冷蔵庫は何のメタファーか】
民主化への扉は開かれても結局は閉ざされるということ?
【ふたりの妊婦】
未来の象徴??ちょっと安易か。
【ヂャン・ウェイ、そしてワン・ポンスゥ】
今回は多くの方がひとりで数役、こなされているのだけど、眞島さんも二役なさっている。これは「ヂャン・ウェイ役はワン・ポンスゥも兼ねる」という作者の指定なのか、はたまた栗山さんの演出なのかが分からないけれど、ジョーの写真をきっかけに運命が変わったふたりの兄を彼がひとりで演じるという仕掛けなのだろうか。
【ヂャン・リンのこと】
満島さん、彼を観たのは森田必勝役、そして田中圭24時間テレビでのロドリゲスという極端な振り幅(笑)。こんな役を1日2回も演じて彼、大丈夫なのかなと不安にさえなった。彼はジョーに何を求めてずっと友達となっていたのだろうか。ジョーに探させたもうひとりのタンクマンは今の政府で英雄となっていると思っていたのだろうか。
【ジョーのこと】
過去の栄光でもう1発当てたかっただけなのか、タンクマンの今から中国を今を真剣に伝えようとしたのか。ミシェルとの会話に出てくるのは彼自身の子供のこと?(子供はいない、いらないのでは?)テスにもうすぐ妻が帰ってくるという意味は?ヂャン・リンに「結婚しよう」と言うのは彼をアメリカに呼び寄せられる手段としてのその場しのぎの言葉?しかし、なんにせよ田中圭さんが演じることによってすべて悪気はない、無邪気な男だと捉えてしまうのはなぜだ!くやしい!
事前に戯曲を買った時に即、開いたところ、パタパタを激しい場面展開に頭がくらくらして読むのを放棄してしまってたのでタンクマンは誰なのか?というミステリー部分を堪能できたけれど、これ、回り舞台での転換だからスムーズだったけど、そういう装置がない劇場だとどうするんだろ。やっぱり中国側は下手固定にして、上手や奥側で場面が変わるアメリカ側を作るんだろうか。アメリカ側は装置で説明する場合が多いから、それでも転換は大変かなとか、いろいろ考えてしまった。
栗山さんのコメントに「シャッターを切るように」場面転換すると書かれているのだけど、まさしく、ほんの一瞬だけのために場面が流れたりする。テレビドラマならフラッシュバックのカットシーンとして出てくるように。それを舞台に上げるって本当、大変な作業。演出し甲斐があるっていう面もあるけれど。
最後に重たいものがずしりと届けられ、これじゃカーテンコールで笑顔なんて見せられないわなという幕切れ。後味が悪いというよりもこれは誰かに伝えなくては、と思わせられた。
以上、長々と連ねましたが最後まで読んで下さりどうもありがとうございました。もう少し戯曲を読み込んだり天安門事件についてをもっと良く調べたらちゃんとした考察が出来たのかもしれないけれど、取り急ぎのエネルギー放出としてお許しください。
20代の頃は土日の上京でマチネソワレマチネとはしごした時期もありましたが結婚や病気のために芝居を観ることから遠のき、特に持病が持病なのでもう長時間座ることなんて出来ないと思っていただけに、今回は本当に幸せな時間を過ごしました。この先、いつまで観られるかということを考えるとこれからは機会があったら、体調が許してさえくれればまた、どんどん芝居を観たいと思っています!
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